「冒険者に捧ぐ100の言葉」の更新と、気ままに描いたラクガキの掲載。
2008.01.16 Wed
線画:シャーペン
塗り:Photoshop6.0(鉛筆ツール)
塗り:Photoshop6.0(鉛筆ツール)
創作小説『空と花と道と』より。13年前のラウル。齢10ナリ。
戦争に行く前なので、まだ両腕ともありまする。
実家が香辛料店なので、そのお手伝い中。
まさか自分がジャーナリストになるだなんて、夢にも思ってない頃のこと。
笑い男Tシャツを着てるのは、実は2回目だったりする(笑)
さておき。
先日のイベントの後、総勢4名でお泊まり会を開いた。
お泊まり会を開いて何するって、ひたすらにずーっと喋くってた。
もっすごい濃密な話題が飛び交い、とても勉強になった。
私は、人の話を聞いて、それを自分の脳内で消化するまでに時間がかかる人間だ。
自分の考えていることを言葉で表現するのにも、時間がかかる人間だ。
なので、どちらかというと、いつも専ら聞き役に回る。
そのお泊まり会でも、みんなのお話をふむふむと聞いていたら、
「すげー!!!!」と思うことの連発で、自分の頭の回転の遅さに、焦りすら感じた。
特に、創作に関する談義では、目からウロコが落ちまくった。
私は考えるということがとても苦手な人間なので、
創作でも何でも、いつも「理屈」ではなく「感覚」でやっちまってる。
創作を続けることの意味とか、そんなこと考えたこともない。
書きたいから書いてる。ただそれだけ。
下手でもいい、遅筆でもいい、それでも書く。だって書きたいから。
草薙素子風に言えば、
「囁くのよ、私のゴーストが」
ってなもんだろう。
言葉では説明できない、「書きたい」という気持ち。
プロ作家になりたいからとか、そういうのではなく、ただ「書きたい」。
私にとって、作品を創るという行為そのものに、理論は存在しない。
書くことによって自分の中の何かを表現しようとか、
こういったテーマのことを表現しようとか、
そういう小難しいことは考えないようにしている。
もしかしたら無意識のうちに考えているのかもしれないけれど、
少なくとも、自分で言葉で説明できるほどには自覚していない。
ただただ、脳内では常に、何かしらの物語が蠢いている。
早く外に出せと蠢いている。
これは、理論立てることのできない感覚。とてもウキウキするような感覚。
というのも。
理論立てて作るというスタイルは、自分には合わないと分かったから。
数年前から一昨年にかけて、珍しく頭を使って作品を創ろうとしたら、
見事に書けなくなってしまったから。
だから、周りのみんなが「自分が創作で表現したいことは」というお話をしている時、
私は心底みんなを尊敬する。
作品を創るという行為だけでも十分にエネルギーが必要とされるであろうに、
この人たちは、さらに頭を回転させて、その行為に意義を見出している。
自分の行為に、一本の筋を通している。
私にはできないと思った。
私は、自分のゴーストが囁くままに筆を進めることだけで、精一杯だ。
だから、そうやって筋の通った姿勢で創作に取り組む人々が、
ちょっと――いや、かなり羨ましい。
でも、人には「向き不向き」というものがあるので、
私にはこの、「感覚」を頼りにやっていく方法が合っているのだろうと思う。
頭を悩ませるのは、プロットの組み立てについてだけで十分だぃ(笑)
とはいえ。
あまりに「理論」をなおざりにすると、ただの自己満足な作品になってしまうので。
それだけはしないよう、読んでくれている人にもきちんと理解してもらえるような、
そんな作品作りをしてゆきたいと、改めて心に決めた。
それが、時間を割いて自分の作品を読んでくれる人々への、
一番の誠実な姿勢だと思うから。
ひとまずは、空花の第3巻を完成させる。うし。
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